第5回 「難民を助ける会」との出会い
正式名称は、特定非営利法人「難民を助ける会」(通称AAR)といいます。
1979年に相馬雪香さん(尾崎行雄(咢堂)の三女)が当時69歳にして設立
した100%民間の手によるNGO(非政府組織)です。
国連にも認定・登録されたNGOで、国税庁にも18番目の認定NPO法人として登録されています。
私たちが「難民を助ける会」と出会ったのは2001年のことです。
9月11日、それまで想像もしたことがない大惨事が発生しました。
「同時多発テロ」です。
アメリカはこれを機会にアフガニスタンに侵攻しました。それまでアフガニスタンという国のこともよく知らな
かった私たちでしたが、テレビに映し出される状況をみてとてもショックを受けました。
この国には今でも何百万という地雷が埋められていて、その地雷によって毎年何百人、何千人の人々が被害にあっていること、特に何の罪もない子どもたちが傷
ついている姿が痛々しく感じました。
このアフガニスタンという国には今でも何百万という地雷が埋められていて、その地雷によって毎年何百人、何千
人の人々が被害にあっていること、特に何の罪もない子どもたちが傷ついている姿が痛々しく感じました。
この時、同時に地雷を除去する活動を展開するNGOの姿も映し出されており、“私たちにも出来ることは何かな
いか?”と思い立ったのが「ピースプロジェクト」のきっかけです。
色々と模索してみましたが、“これ”という案が出てきません。
そんな時、とある友人から「イングラムにはピースマークがあるんだから、あれを有効に使わないともったいない
よ」というアドバイスをいただきました。ちょうど199X年にとあることがきっかけで、ピースマークの商標を取得していましたが、実際には何に使うことも
ありませんでした。それは私たちの苦い経験に基づく結果です。
私たちイングラムのビジネスは「ライセンスビジネス」です。
ブランドやキャラクターといった無体財産をメーカーや企業に使ってもらうのが仕事です。
「それならば、このピースマークを同じように使ってもらって、そのロイヤリティをどこか正しい活動をしているNGOに使ってもらおう」という話しになりま
した。
そして色々なNGOの研究が始まったのですが、私たちの希望としては、
1. 日本のNGOであること
2. 政治、宗教、その他のイデオロギーに偏らないこと
3. 永く継続活動を続けていること
に重点を置いて探しました。
なかなか思うようなNGOを探すことが出来ませんでしたが、最終的に「難民を助ける会」を知ることができまし
た。
すぐに連絡を取り活動の主旨を電話で話しましたがその結果は「難民を助ける会の名前をビジネスに、利用されることへの懸念がある」ということでNGでし
た。
確かに訳の分からない中小企業が突然「寄付したい」と言っても何から企みを疑うのは仕方ないことです。
何度かの話し合いで、「難民を助ける会」の理念や活動方針を信じるようになり“一緒に活動していくのはこの「難民を助ける会」しかない”と思いを強くしま
した。
最後は強引に直接理事長に会わせていただくようにお願いをして、私たちの想いを伝えたところ、当時の柳瀬理事
長から「いいじゃない、やってみましょうよ!」とお言葉をいただきました。
正式に契約に至ったのは2004年4月のことです。
「難民を助ける会」は現在、カンボジア、ミャンマー、アフガニスタン、スーダン、アンゴラ、ザンビアなどこれ
までに世界50カ国以上で支援活動を展開しています。
また、世界各国からの難民を日本に受け入れる活動にも力を入れておられます。
同じ日本人として、こういう活動を長期にわたって継続されていることに心から敬服いたします
カポエタでの「難民を助ける会」の活動
カポエタ(南スーダン、東エクアトリア州)にある「難民を助ける会」(AAR)の
施設には3人の日本人と21人の現地スタッフが駐在しています(訪問当時)。
ここでの活動の主たる目的は、生活インフラの支援にあります。
前述していますようにこの地域の最優先事項は人々の生活よりも、セキュリティにあります。
例え、医者が160万人に対して14名しかいなくても、井戸水のような清潔な水を使えるのが3分の1に満たな
くても、優先するのは軍事なのです。
AARの活動の中身は、
1. 井戸や給水タワーの提供(2008年末までに50基の井戸設置)
2.地雷回避教育の援助
3.初期医療システムの提供(これまでに簡易医療施設を3棟設置)
4. 現地での医療サポートシステムの構築
5.帰還難民受け入れのためのサポート
などがあげられます。
井戸1つ掘るにも現地の郡長の許可が必要になります。
現地のスタッフは毎日あちらこちらの役人と打ち合わせを行ったり、時には何日もかけて南スーダンの僻地まで視
察に行ったりしています。
「PHCU」と呼ばれる簡易診療所を東エクアトリア州に3ヶ所設置(09年3月時点)し
ていますが、年に数回はこういう施設を訪問して活動状況を確認、コミュニケーションをはかっています。訪問すると言っても、東エクアトリア州は東京都の約
40倍、更に舗装道路はどこにもなく、雨季になると道路が簡単に“川の底”という状態ではすんなりと活動できない状況です。
更に現地ではマラリア、黄熱病、髄膜炎、狂犬病といった私たちには無縁の病気が今でも存在しています。
また帰還難民によるHIV(エイズ)拡大の恐怖も深刻な問題です。
現地のAARスタッフはこれらの問題解決にむけて、蚊帳の配布を行ったり、トイレの設置を促したり、地道な努力をそれこそ一進一退しながら続けています。
しかし、なかなかすんなりと受け入れてもらうことが出来ない現実もあります。
HIV対策でコンドームを配ろうとしても「そんな5年先に発病する病気のことを心配するよりも、明日の生活を心配することで精一杯」という理由で受け取っ
てもらうことが出来ないそうです。
現地の名取駐在代表に一番重要な点をお聞きしたところ、
「何もかも私たちの常識とは違う世界で、活動していくために必要なことは、現地の目線に立って“何が必要なのか”を知ることです」とおっしゃっていまし
た。
株式会社イングラム
代表取締役 加藤勉
*次回に続く
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